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リチャード・リンクレイター監督「ビフォア・サンライズ」「ビフォア・サンセット」「ビフォア・ミッドナイト」について。

「6歳のボクが、大人になるまで」を観終わった後に「ビフォアシリーズを見返そう」と決めていました。「6歳の~」は自意識の形成過程を追った劇映画ですが、「ビフォア~」は出来上がった大人の残酷な“時”の流れを描いています。改めて傑作だと思い知ったので感想をまとめておきます。

ビフォアシリーズは、1995年、2004年、2013年に公開されました。全て繋がった物語で、18年間、三作品とも同じキャストが主演を演じ続けています。

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(完全ネタバレです。これから観る方は注意)。

「ビフォア・サンライズ 恋人までの距離」(1995)
ジェシーとセリーヌ、二人の出会いの話です。もうね、テカテカすぎるピュアな物語ですよ。
一作目は青春映画の中でも最も好きな映画です。次点で「秒速5cmメートル」「スタンド・バイ・ミー」「ファンダンゴ」だったりします。
あまりに単純な設定なんですよね。旅をしている途中、列車の中で偶然出会う男女の一晩の恋物語。ジェシー(イーサン・ホーク)とセリーヌ(ジェリー・デルピー)。彼らは途中下車してウィーンを巡ります。お互い翌日には行かなければならないところがあるので、本当に猶予は一晩、14時間きりです。

ビフォアシリーズは三作品とも、基本的に永遠と二人が喋っているシーンで構成されています。ただただ会話をしているだけ。でも全くお互いを知らなかった二人が徐々に心を通わしていく様子が、会話だけでなく表情(特に目線)からこちらに伝わってきます。
冒頭、電車の中で口喧嘩をしている夫婦を見た時のセリーヌのセリフが、三作品観終わった後に考えるとよくできたものだとわかります。

セリーヌ「夫婦はお互いの声が聞き取れなくなるの」
ジェシー「なぜ?」
セリーヌ「年と共に男は高い声を識別できなくなり、女はその反対なの。聞こえなくなるのよ」
ジェシー「だから殺し合わずに年を重ねられるのか」


「ビフォア・ミッドナイト」を観終わった後にこのセリフを考えると感慨深いです。

まだ二人が出会ったばかりでこの会話ですからね。セリーヌの会話のネタの出し方、ジェシーの皮肉めいた返し、若いから言える小生意気な内容、二人の造詣がここだけ見ても少しわかるところが素晴らしいです、彼らはこんな内容の会話をひたすら1時間半、続けます。

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他にも例えば、セリーヌが列車を使っている理由。それは飛行機に乗るのが怖いからです。
「私は24時間 死を恐れている。だから飛行機でなく列車でパリへ。怖いから。不安なの。統計上列車のほうが安全ですもの」「想像してしまうの 機体が爆発し落ちていく私の姿を 死ぬ前の数秒間がすごく怖い。死ぬとわかっているんだもの」
こんな普遍的な会話の塊ばかりです。それがいい。若い時って死とか人生とか、どうにも解決できないことばかり考えて、議論を交わすのが面白いんですよねー。すごく共感できます。

至高なのはレコード店の視聴ルームでの二人のやり取り。ここでは全編唯一と言っていいくらい、二人は会話を交わさず、お互いがお互いの顔を見ようとします。けれども目は合わさないシーンが続きます。長回しで。もう意識しちゃってしょうがないんですね二人とも。これは後の2作でも踏襲された演出の仕方です。頭の中はキスしたいって思いばかり。顔はにやけちゃってる。ああもうタヒれって話なんですけど、あまりに純粋すぎるシーンでいいんですねこれ。

二人は色々な場所へ行きます。列車の食堂へ行ったり、お墓に行ったり、観覧車に乗ったり、カフェで手相占い受けたり、Barでピンボールゲームやったり......。また二人は色々なことを話します。お互いの両親の話、当時の政治の話、これからの人生について......。二人の息はぴったりで、次第に距離は近づいていきます。ラスト、「半年後にもう一度、この場所で会おう」と約束を交わして物語は終わります。この映画の素晴らしいのは二人が会えたかどうか、結果はまったくわからず終わるところです。この結果が9年後に作られる続編で明らかになる、ここがいいんです。

普段なら「リア充全員爆発しろ!何が旅行中の列車で知り合って好きになるだ!?あ!?信じられるかそんなもん」となる私でも、この映画を絶賛するのは、二人の関係性に全く嫌みがないからです。言い方を変えると謎の必然性があるんです。友達の紹介とか合コンとか、サークルで一緒になって徐々に……とか、どうにかして恋人作る!ヤリまくる!ではなくて、臭い言い方ですが二人は赤い糸でつながっているんです。それが次第に見えてくる。
ただ、例え赤い糸で結ばれているとしても、その糸が細いかもしれないし、腐るかもしれない、そんな部分を抱えつつ続編は作られていきます。

「ビフォア・サンセット」

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果たして二人は半年後に再会できたのか?その真相が明らかになる、9年後を描いた作品です。1時半20分でサクッと終わらせるのがまず素晴らしいですよねー。
これも大好きな作品です。
まず大前提として、実際に9年後に作られた作品なので、作品中の人物も当然歳をとっています。23歳が32歳くらいに。あ、あんなところに皺が…とちょっと感慨深くなります。まぁロッキーシリーズとか観ていてもそうなんですけどね。恋愛映画としてはとても珍しいでしょう。
冒頭、ジェシーのサイン会から始まります。
余談ですがここで出てくるパリの書店「SHAKESPEARE AND COMPANY(シェイクスピアと仲間たち)」には先日フランス旅行へ行った際に寄りました。まだまだ健在で、お客さんも多く、観光名所として生き残っています。うれしいですね。
ジェシーは9年前のセリーヌとの出会いを書いた本がベストセラーになり、人気作家の仲間入りを果たしています。さて、結局二人は半年後に出会ったのか気になっていると横にはセリーヌの姿が。彼女はこの本の噂を聞いてジェシーに会いに来ていたのでした――。

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ここでジェシーが「次の作品はどのようなものを書かれるんですか?」という質問に対してこう答えています。長いですが、作品の本質・軸を表しているように思えたので簡単に書き起こします(一部省略あり)。

「ポップソングが一曲流れている間に起きるもの物語です。一人の男がいて、彼は絶望している。若いころはマッチョな男性を目指していたが、実際は仕事も家庭もある。幸せだが何か物足りない。彼は人生の意味を見つけたい。
幸せとは夢を叶えることで所有することじゃない。彼はテーブルに着いている。すると次の瞬間5歳になる娘がテーブルの上に飛び乗る。危ないから降ろさなきゃと思う。でも娘はポップソングに合わせて踊ってる。うつむくと、彼は突然16歳に戻った。高校時代の恋人が車で送ってくれるとこだ。初体験の直後で彼は愛されている。同じ曲がカーラジオから流れてて、恋人は車のルーフで踊りだす。落ちる危険が。彼女の美しい表情は娘のものと同じだ。だからなお惹かれる。娘の踊りで思い出した幻想ではなく、両者の瞬間は同時に存在し、一瞬にして彼の人生は1つに重なる(ここで初めてセリーヌの今の姿が映り、視点はセリーヌに!素晴らしい流れ)。時間はまやかしだ。これは常に起きていることである瞬間が別の瞬間も含んでて同時に存在している。まあこんな感じの話です」

リンクレイターは“時”はもちろんですが、“一瞬”をとらえている、と言ったほうが正確な気がします。一瞬の積み重ねが時を形成する。一瞬は戻ってこないし、先の一瞬を予測することもできないんですね。しつこいようですが、だから登場人物たちは今この一瞬のときめきを大切にするように会話を積み重ねていくんですね。それが交差する瞬間が人生にはあるんです。ジェシーとセリーヌにとっても、再び運命が交差する日がきました。

まあでも案の定、再会したのはいいですがお互い家庭があり、別の恋人がいるんですね。この時点で最近の日本の大量増産恋愛映画のようなピュアな映画の方向性ではない道筋が表されているんですねぇ。
結局、別れから半年後、ジェシーは約束の場所に赴き、セリーヌは行きませんでした。理由は祖母の死。二人はそこで交わることなく、9年の時が経つわけです。

セリーヌは環境保護団体で働いています。そのせいか政治的な発言が多いですね。ジェシーは相変わらず芸術家きどりのシニカルめいた発言が多いです。まあ二人とも方向性は変わらず成長していることがわかります。
ジェシーはすでに結婚していて子供もいますが、結婚に満足していません。妻ともうまくいってない。そりゃそうです。セリーヌほど愛した女性がいるにも関わらず結婚してしまったんですから。セリーヌにも報道写真家の彼氏がいます。
会話の中から二人の後悔が、特にジェシーの後悔がにじみ出ているのがわかります。どうして、どうして半年後に来なかったんだ……。でもそんなこと言ってもしょうがない。ジェシーには飛行機の時間が迫っていますが、セリーヌの部屋にお邪魔することに。でも、二人はセックスはできないです。お互い家庭のある、良識のある大人だから。このセリーヌの部屋での場面は至高の時間です。緊張感に、幸せにあふれています。
しかも最後はお尻フリフリダンスで終わる(笑)なんというラストなんでしょう。見た人の心をぐちゃぐちゃにして終わらせる。しかもこの続きはまた9年後。うひょー。


「ビフォア・ミッドナイト」

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2013年公開。再会から9年。さて、あの二人はどうなっているのでしょうか……。
冒頭、ジェシーと息子の場面。息子が飛行機に乗ってどこかへ行ってしまうらしい。息子を泣く泣く見送ったジェシーが向かった車の先には、セリーヌの姿が。よっしゃあああああああああああああああああ。二人はようやく結ばれていたのであった!!!!しかしあれ……。雰囲気がどうも重い。そんな馬鹿な。「ビフォア・サンライズ」のころの熱くてピュアな恋愛模様を期待して……。
そう、そんな甘いはずはない。四十路を迎えた彼らには、冷酷な現実が待ち受ける。時は残酷です。二人は昔のような情熱を失いかけていました。ジェシーと元妻との間に生まれた男の子が空港で一緒にいた子で、他にジェシーとセレーヌの間に双子の女の子がいる。彼らはギリシャに2週間休暇に来ていて、最終日前日に息子は元妻のもとへと帰って行った。前二作と違い、今作は周辺人物が出て着ます。会話の端々から、彼らがまぎれもなく大人になったことが伺える。18年前、セリーヌは「ペニス」と声高らかに言えただろうか。セックスについてこんなに話せたでしょうか。
「たぶん僕たちは失望を知ってしまったんだ」
ジェシーの言葉は重いです。子供を二人抱え、さらに自分の息子は遠くアメリカの素妻のところで暮らしている。うまくいかないことだらけだ。自由な時間なんてない。
休暇最終日、友人が二人のためにホテルを取ってくれた。娘たちは彼らが預かってくれるという。久々に愛を確かめるかに思えたが、成長期の息子を一人にはできないとパリからシカゴへ行きたいと言うジェシーに反発するセリーヌとの喧嘩になってしまいます。こんな二人の姿、観たくなかった。でも、これが現実。ピュアなままでいれるわけがないのですから。。
余談ですけど、ジェリー・デルピーのおっぱいが出てきます。イーサン・ホークが吸い付きます。最高です、はい。まさか三作目で見せてくるとは……。おっぱい出したまま喧嘩するところに役者根性を感じました!慣れ親しんだ夫婦だと、別におっぱいだしてようがいまいが関係ない、そこにリアリティがあるんですねぇー。

かなり強めな喧嘩をします。今までの二人の関係を見てきた観客からしたらヒヤヒヤでたまりません。しかもお互い浮気をしていました。最悪です。がっかりです。でもこれが現実だと言われたら何も言えません。人は浮気をします。多分、基本的には。しょうがないことなんです。

「あなたのセックスはいつだってまったく同じ」
「でもやってる」
「キス おっぱい プッシー グルォオオオ(いびき)」
「僕はシンプルを好む」
なんて痛々しい会話なんでしょうか。観ていて死にたくなってきます。

完全に破局エンドだと思ったのですが、
「僕が犬のように必ず戻ると思ったら間違いだ」
こんな強い一言で、セリーヌも折れるわけです。
人生は折り合いをつけることで前に進んでいくんですね。それをジェシーもセリーヌもわかっています。

二人は本当に色々なことを話してきました。それは1つに「自分の生きたいように生きるべく、そのための行動をする」があったと思います。でも、それは無理でした。一個人ではどうしようもないことが待ち構えているもんです。お金のことも、子供のことも、自分自身の将来も。だから、妥協して大人になるしかないんです。二人はそこでもがき苦しみます。でも、それを救うキーワードはやはり愛です。いや、愛というより人を好きって思う気持ちなんだと思います。簡単に考えていいんです。彼女が、彼が好きだから妥協する、それでいいんです。今この一瞬の判断に取り返しはつきません。だからこそ、大切にしていかなければならないことがあると気づかされる映画なんですね。

ちなみにジェシーが友人との会話の中で、三作目の小説のタイトルを述べています。
「途切れなく続く“一瞬”という芝居の出演者たち」
これはまさにビフォアシリーズそのもののことを言っています。非常に長くダサいタイトルですが言い得てますね。

青春映画として傑作なのはもちろんですが、二人の人生について追体験するかのような感覚を覚える映画です。なんて書いていて思い出したジェシーのセリフで終わりにしたいと思います。
小説について、「テーマは時間だな?」と問われたジェシーの答えは

「時間でもあるけどむしろ“感覚”だ。」

もっと身体的なものがここにはあるんですね。

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